2011年02月06日

游芸真千子の人生

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游芸真千子の人生 その4

11歳のとき

養母が心臓の病に倒れたのは、

私が小学校6年生の9月15日のことでした。

学校が終るとすぐに帰ってきて、

養母につきっきりで同じ布団に入って眠りました。

私に話さなければならないことがあると言いながら

亡くなったのですが、私は、学校でお友達から聴いて、

別に生みの母親が居ることは知っていましたが、

最後まで、養母にはそのことを言えませんでした。

そのころには三味線もかなり上達していて、

養母の傍らで、黒髪の曲を三下り調子に合わせ、

弾き語りしていました。養母はそれをじっと聴いて、

「上手になったものだね」と弱弱しく喜んでいましたが、

三ヵ月後の12月25日午前零時7分に息を引き取りました。
posted by ぼたんちゃん at 22:48| Comment(0) | 自分史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月03日

游芸真千子の人生

游芸真千子の人生 その3

6歳

中野区立野方小学校に入学しました。

養父母は私をとても可愛がり、

六年間、学校の送り迎えをしてくれました。

養母はかたときも私を離さず、

いつでも一緒に連れて歩くので、

腰巾着と言われました。

遠足や運動会のときには、明け方4時ごろから、

お弁当を作ってくれていました。

七五三のお祝いに、養父の友人川越屋呉服店で、

加賀友禅手描きの着物に二枚重ねの襦袢、

緋の襦袢に重ねた手鞠柄の長襦袢をいつまでも大切にして、

養父母の亡き後も、その思い出にひたっていたものです。

6歳の6月6日より、

日舞の稽古と長唄のお稽古を始めました。

長唄はめきめき上達しまして、

養老院の慰問や中野区の祭りにひっぱりだこでした。
posted by ぼたんちゃん at 01:04| Comment(0) | 自分史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月02日

游芸真千子の人生 その2

游芸真千子の人生 その2


はじまり

私は、昭和20年1月23日に千葉県の野田市に生れました。父親が戦地にいたために、母(とし子)は一人で難産の末、私を産んだと言っていました。

やがて父親が戦地から戻ってきましたが、私はなつかず、よく泣く子で麦畑に捨てられて、穂で目を痛め、真っ赤に泣き腫らしていたと、後に、母親!が語るのでした。

そのころ、東京中野に住む父親の姉夫婦が見るに見かねて私を可愛がるのでよくなつき、やがて養女として伯母夫婦に育てられることになりました。
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